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アフガニスタンの現状

松浪健四郎先生と再会・・・

 

2023年5月22日、JICA(国際協力機構:東京都新宿区市谷)の「地球のひろば」にて、松浪健四郎日本体育大学理事長、日本・アフガニスタン協会理事主催による「アフガニスタンの現状」について、岡田隆アフガニスタン特命全権大使による講演会が模様されました。


余談ですが・・・

私と松浪先生とは知り合って20年近くになり、私が経営していた池袋の居酒屋でも一杯酌み交わした事もあります。

またアントニオ猪木氏の古希祝いにも同席いたしました。

今回は松浪先生から直々に招待されたので伺った次第です。

久しぶりにお会いした先生は、癌との闘病で少しお痩せになりましたが、まだまだ元気溌剌とされていて、とても安心いたしました。


講演前に挨拶される松浪健四郎理事長


アフガニスタンという国について・・・

 

アフガニスタンの人口は約3,800万人、首都カブールは約400万人との事ですが、実態はわかっていないとの事です。

なんと松浪先生は、アフガニスタンに1975年から3年間も暮らしたことがあるのです、凄すぎますね。

 

病院は少なく、一つの病院に毎日300人以上が押しかけ、その殆どは女性と子供との事です。

松浪先生によると、ミャンマーやアフガニスタンの悲劇が続いているのに、ロシアのウクライナ侵攻が余りに大事件の為に、この国の現状が消されてしまいそうだと憂いていました。


岡田隆アフガニスタン特命全権大使

アフガニスタン大使など

岡田大使の講話が始まりました・・・

 

注:岡田大使の話を元に私が調べた情報を交えて解説しております。

 

アフガニスタンという国があるのはご存知でしょうが、さてどこにあるかご存知ですか? 中東と言うくらいで、〇〇タンと名前の付く国が多く、位置関係などお分かりになりませんよね。

アフガニスタンを挟んで右側にパキスタンがあり、左にトルクメスタンがあるのがわかります。

アフガニスタンは海がなく険しい山脈の中にあります。

首都のカブールは1800mの高地にありますが、なんとこれでも低い盆地にあり、普通は3000〜4000m、高いところでは7000〜8000mとの事で、畑や田んぼを作ることができないのです。

 

 

ここからはアフガニスタン事情を・・・

 

だからこそ、世界の麻薬の85%はアフガニスタンで作られていると言えるかもしれません。

国連麻薬取引監視チームによると、年間506億円もの大金がタリバンの収入になっているとの事です。

 

しかし、外貨を稼ぎ出すのは麻薬だけではありません。

 

なんと雨の降らない砂漠の国ながら、果肉が鮮血のように赤く甘くて大きなミカン「サンタナ」や、ラグビーボールの4倍ほどの大きさで甘い「ハルブーザ」と呼ばれるメロン、メロン並みの大きさで安価な「タルブーズ」はとても人気らしいです。

 

さらに凄いのは80種類ものブドウで、古代ペルシア時代からの産物との事。

砂漠地帯には各地にオアシスが点在しており、ここに十分な水量が確保されていた事で、メロン、スイカ、ブドウ、ザクロ、モモなどが育ったのです。

 

他にもアフガン絨毯は、ザクロで真っ赤に染め上がり、しかもそれが長年使用すると段々とピンク色に変わって行きますが、その方が価値が上がると言うのだから面白いですね。

 

首都カブールの人口は1975年当時、100万人を超えていて、水道施設は日本の援助で整備されています。

50年以上前から協力しており、故に日本は尊敬されているのです。

 

人造湖カルガからカブールへ水が流れたことにより水の心配がなくなり、松浪先生が滞在していた1975年からの3年間、停電は頻繁に起きたが、断水は1日も無かったと言いますから、どれほどしっかりした工事を日本は行ったか想像できます。

 

 

アメリカ軍の撤退・・・

 

2021年、20年続いた米軍駐留が撤収となり、アフガニスタンはタリバンの凶行が行われるとパニックになり、逃げ出そうとした国民が空港に殺到し多くの死者を出しました。

2021年8月22日:空港に近づかないようにと国民を抑制するアメリカ軍兵士

同年8月26日:アメリカ政府の手配により、24時間以内に約19,000人がカブールから避難した

テレビでは飛行機にしがみつき、空中から地面に叩きつけられる若者のシーンを見ました。アメリカは急にタガを外し、その代償を国民になすり付けたのかと憤りを覚えたものです。

しかし、この写真の様に、しっかりと救える命は救う努力を怠ってはいなかったのです。

 

アフガニスタンの女性・・
タリバンは、女性に対して顔をベールで覆うように服装規程を強化した。
従わなければ罰を受けるとも発表した。

この写真は2013年のもので、この様にアフガンでは女性のベールについて大きく緩和されていた。

 

世界のイスラム教では、女性が全てを覆うベールを義務としていません!

しかし、タリバンは全身を覆うブルカを義務付けました。



1990年代タリバンが抑圧している時からカブールを強制していました。

アメリカが制圧していた時でも、多くの女性はカブールを身につけていましたが、知的職業を中心にした女性たちは、次第にもっと動きやすいベールに切り替えて行きました。

 

最後に・・・

 

さて、ここまで松浪先生や岡田先生の話から始まり、途中からは私が調べたアフガン事情を交えながら解説させて頂きました。

まだまだ、途上国と言えるアフガニスタンには多くの問題が山積みとなっている事がわかりました。

 

これから日本人として何ができるのか、私個人としてどう関わっていけるのか、考えていきたいと思います。

 

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